代ゼミの大量閉鎖に思うこと
僕は80年代後半の代ゼミ生だった。地元の予備校に行くと高校の延長になってしまうため、片道二時間近くかけて博多の代ゼミに通った。
講師は東京、札幌、福岡と飛行機で飛び回っていた。
講義はネタであり、パフォーマンスだった。
一コマウン十万という講師料の噂も聞いたことがある。
すごい商売だなと思った。
僕は特待生だったので、通期の学費はほぼ払ってないけど、夏季、冬季、直前講習は普通にお金を取られる。そういう意味では、かなりお金を使ったと思う。
結果的に息切れして、第一志望には行けなかったが、その経験は今でも色んな面で生きていると思う。さらに自分の人生にとやかく言われたくない自分には合っていたと思う。昨今の予備校はマスに一斉に授業を行うのであればオンラインで、あるいは生徒の成果に焦点を当てる場合はマンツーマンを売りにしている。大量に教室に生徒を入れる代ゼミ方式は浪人生の減少とともに時代遅れになった。
20世紀のビジネスモデルがドンドン崩れつつある。
その流れに乗っていかなければ巨象は生きられない時代なんだなぁ。
東京国立近代美術館が熱かった
フィオナ・タンのドキュメンタリーは必見
都写美でフィオナ・タンの展示を見た。
ぽっかり時間が空いたから、というそれだけの理由で行った。
岡村昭彦と悩んで、直観で。
「kingdom of shadows」という50分のドキュメンタリー。
予備知識もなく見たのだが、頭をガツンとやられる衝撃。
アマチュアの写真の収集家が出てきて、写真に関してコメントする。
- 写真は偶然性があってできるから面白い。絵画ではそうはいかない
- アマチュアの写真は面白い。作為性がない
そんなことを言っていた。
どうしても、写真を見る行為はプロの写真に限定されてしまう傾向があり、そこには作為があるものが大半(商業写真だから)だけど、つくられたものは面白くない。面白くするのは偶然だ。それは鑑賞者の目を持って作品として成立する。
うーん、いいことを言っている。
というか、最近忘れていた最初のころの写真の方がいい写真ということになるな。
やっぱりそう考えると人物撮りなんだな。梅佳代さん路線。
とても大きなことに気付いた気がする。
秋のグループ展に生かせるとよいな。